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ニュース:「医療・介護」産業の創造的破壊こそが 成長戦略のカギを握る
2014-01-14
セミマクロの視点から見る成長戦略
前回まで10回ほどにわたって、日本の成長戦略についてマクロ経済の視点から考察してきた。そこでカギとなるのは、TFP(全要素生産性)と呼ばれるものであった。TFPを高めることなく日本が持続的成長を実現することはできない。そのためには何が必要なのかを検討してきた。
今回からは、この成長戦略の話をセミマクロのレベルに広げたいと考えている。具体的には、日本が経済成長を実現するとしたら、個々の産業がどのような姿になっていくのかということだ。
私たちが観察する現実の経済は、なかなかマクロでとらえることが難しい。マクロでとらえた経済は、生産性やGDPという数字の話になりがちである。もちろん、そのようなとらえ方も重要である。木を見て森を見ずになってはいけないからだ。ただ、具体的な成長のイメージを抱くためには、いろいろな産業でどのような変化が起きるのかという点にまで考察を広げる必要がある。これがセミマクロの視点である。
日本が持続的な成長を続けることができるとすれば、それに応じて個々の産業の姿も変化していくはずだ。多くの場合、それは創造的破壊というかたちをとる。つまり既存秩序を壊して新しいものが生まれてくるのである。
成長戦略において、規制緩和や市場開放の重要性が強調されるのも、まさにこの創造的破壊が重要であるからだ。既存の利害関係者は、どうしても新しい変化に抵抗しようとする傾向がある。しかし、そうした既存の秩序だけを守っていては、経済はジリ貧にならざるをえない。社会全体として変化を受け入れる必要があるのだ。そうした変化が、いろいろな産業でどのように起きるかを考えるのが、以下で展開するセミマクロ視点での考察である。
成長のための最重要分野は医療・介護
個別分野の変化の考察の対象として、ここではまず医療・介護の分野から取り上げることにしたい。高齢化が進むなかで、雇用の規模でも付加価値の大きさでも、この分野が最大の産業であることは明らかだ。医療や介護が産業としてどのように変化していくのかは、日本経済全体の成長戦略にも深く関わってくる。
誤解がないように付言するが、ここで医療や介護を産業と呼んだときに、けっして営利行為だけを意味しているわけではない。非営利行為であっても、労働や資本などの資源を利用して活動するものはすべて産業に含めることにする。日本には限られた労働や資本しかない。それをいかに有効に活用するかが資源配分の効率性ということである。多くの雇用や資金を利用する医療や介護は重大な産業である。この分野で資源配分の無駄が大量に発生するようだと、経済全体の成長力も低下することになる。
日本の成長戦略を描くうえで、医療や介護の分野が特に重視されなくてはいけない理由がいくつかある。ひとつは、言うまでもなく、財政運営との関連である。高齢化が進むほど、医療や介護に対するニーズは確実に増えていく。現在でも社会保障費が毎年1兆円ずつ増えているが、その多くは高齢化に伴う自然増で説明できる。医療・介護の公的負担が限りなく増えていく状況には、どこかで歯止めをかけねばならない。他の産業がどんなに頑張っても、社会保障費で財政破綻が起きてしまえば、成長戦略どころではない。
ちなみに、医療・介護に対する国民のニーズが増えることが問題なのではない。それをすべて公的な負担に回すことが問題なのだ。医療や介護のニーズが増えること自体は、産業としての医療や介護が成長を続けていることを意味する。それを民間の投資や雇用とどう結びつけていくかが、医療や介護をめぐる成長戦略のポイントとなる。
医療・介護の分野が重要である第二の理由は、それが膨大な雇用を生み出すからだ。この点は、そもそも成長戦略とは何か、という点にも関わってくる。成長戦略というと、どうしてもダイナミックなイノベーションで経済をぐいぐい引っ張っていく産業を中心に考えがちだ。ITにせよバイオにせよ、そうした分野はたしかに重要である。医療や介護の分野でも、先端的な医療や医薬品の技術、介護ロボットなど、イノベーションに関わる分野もある。
ただ、すべての産業がダイナミックな技術革新を生まなくてはならないというのも、少しおかしな気がする。一国の経済を列車に例えてみよう。列車を牽引する強力な機関車はもちろん必要だが、乗客が快適に過ごせる客車も必要である。これと同じく、イノベーションで経済を牽引する産業も必要だが、国民生活を支える安定的な産業も必要なのだ。
医療・介護は、技術革新の激しい一部の分野を除けば、客車のような存在である。そこで、より多くの雇用が生まれ、国民が安心できる仕組みの構築が求められる。とはいえ、いくらでも財政資金を投じてもよいということではないし、無駄をする余裕があるということでもない。多くの雇用を生み、国民の生活がそれに依存する度合いが強いからこそ、資源配分は効率的でなくてはいけない。
成長戦略において医療・介護分野を考察するのが重要であるもう一つの理由は、「そもそも成長とは何か」を考えることと関連する。世の中には「もう成長はいいではないか」と言う人がいる。人口は減少するし、高齢化が進むのだから、しゃにむに働きながら競争をしてこれ以上所得を増やすことに意味があるのか、という議論である。
こうした議論をする人たちは、経済成長を狭くとらえすぎている。成長とは、経済が量的に伸びることだとは限らない。これからの日本にとってもっと重要なことは、質の向上が成長におけるカギになるということだ。
医療や介護の分野で、質が重要であることは、いまさら言うまでもないだろう。国民ができるだけ健康で質の高い生活を維持できることが、医療や介護の目的である。制度を改良し、技術革新を取り込むことで、国民の「生活の質(QOL)」が向上すれば、それは立派な経済成長なのである。
医療・介護の改革に産業の視点を
医療や介護の改革は、ともすると社会保障という視点だけで議論されがちだ。医療改革の論議の場で、私のような経済学者は、非常に居心地の悪い思いをすることがある。医療の専門家の方々は、医療の質をよくするために何が必要であるかを、ミクロの視点から論ずることが多い。
もちろんミクロの視点、つまり現場視点での改革の議論は重要だが、それをすべてまとめたときの姿が整合的であるとは限らない。財政制約があるので歳出を削減することも必要だと経済学者が主張すると、「冷たい人間だ」と見られることも多い。一方で、予算のことなど考えず「こうすればもっと患者のためになる」という議論をする専門家の議論には拍手が沸いたりする。
だが、そうしたミクロの改革があちこちで行われても、結果的に医療財政が破綻してしまっては元も子もない。経済学者が歳出抑制の議論をするのは、将来にわたって医療・介護制度を守りたいためなのだが、それを評価してくれる人は多くない。
医療や介護を産業という視点で見よう、という発言をすれば、これもまた疑わしい目で見られる。不見識だ、と言われることもある。しかし、資源配分の歪みを是正し、そこでの雇用の質を高め、引いては医療や介護の質を高めていくためには、産業としての医療・介護の議論を避けて通ることはできない。
すべて政府任せでなく、民間企業の人材や資金を有効に使うことをもっと真剣に考えるべきである。医療・介護が日本の成長戦略のなかでも最も重要な分野の一つであることは明らかなのだ。次回以降、医療・介護のあるべき変化の方向について、より詳しく論じていきたい。
2014年1月14日
Diamond Online
http://diamond.jp/articles/-/47064?page=3