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ニュース: 中国、東南アジアなどで海外展開 - 渡邉一夫・一般財団法人脳神経疾患研究所理事長に聞く◆Vol.2


2013-07-02

――先生はこの1月に中国を訪問し、講演されています。中国とはどんな連携をされているのでしょうか。

 既に北京医科大学、精華大学などと提携を結んでおり、今後(編集部注:インタビュー後の5月末から6月に中国を訪問)は広州の南方医科大学と提携を結びます。1月の講演では、癌の権威者が中国全土から集まりました。

 

 中国の大学や病院と、当院(総合南東北病院)をネットワークでつなぎ、画像を伝送でき、リアルタイムで診断できるシステムの導入を進めています。うちには既に陽子線治療センターがあり、まず画像を診て、治療の適用があれば、実際に患者さんに来てもらう。

――中国の幾つの病院と提携されているのでしょうか。

 上海は2つ、浦南病院と、頭頸部の癌治療を数多く手がける上海交通大学医学部附属第九人民病院。江蘇省の南京医科大学、北京大学医学部、精華大学です。これらの一部とは、既に画像伝送システムを構築しています。2008年の四川省の大地震や、尖閣諸島問題などがあり、連携が遅れている面もありますが、中国の人口は約13億人で、マーケットは大きい。

――先生はいつ頃から中国とは関係を持ち始めたのでしょうか。

 私が、この総合南東北病院を開設したのが1981年。既に1980年代後半には、中国に行き、手術をやるようになっています。その頃からの関係です。

――安倍首相がこの4月にロシアを公式訪問した際、政府や住友重機械工業などが、産官学でロシアと共同で新病院「日ロ先端医療センター」(仮称)を作り、BNCTを核とすることを表明しています。

 ロシアのモスクワには、我々と既に提携を結んでいるクリニックがあります。最新の診断機器を備えた施設です。現時点では日本までは患者さんは来ていませんが、今後、来るようになることも想定されます。ロシアも、人的な交流はいいですが、国と国の関係は難しく、なかなか思うようには行かない面があります。

 むしろ今後、期待できるのは東南アジアでしょう。近く、アウン・サン・スーチーさんにお会いする予定があり、ミャンマーに「アウン・サン・スーチー記念病院」(仮称)を作る予定があります。

――それは公設民営の形でしょうか。

 そうしたいと考えています。我々が運営のノウハウを提供する。

――日本で、関連企業でコンソーシアムなどを作る予定でしょうか。

 そこまでは行かないかもしれませんが、ミャンマーの医療者を育成しながら、一緒に運営していく。とにかく一緒にやらないとダメ。人はすぐ育つわけではなく、時間がかかります。また、一緒にやっていけば、日本の薬や機械も、ミャンマーで使ってもらえるようになるでしょう。

――郡山でも、現地の方の研修などを行う。

 その予定です。

――海外展開を進める一方、国内では、本院(総合南東北病院)に隣接して、「南東北国際がんセンター」(仮称)も設立される。

 近い将来の開設を目指し、まさに準備を進めている段階です。癌には、脳腫瘍、頭頸部の癌、肺癌、胃癌、食道癌、大腸癌、乳癌、子宮癌などさまざまな種類がある。治療法も、手術、化学療法、放射線療法などがあり、担当する医師も、内科系から外科系、さらには放射線科の医師まで多様。専門分化が進んでいく医療の中で、肺癌の手術をやる医師は、他の癌の手術はやらないなど、役割は細分化せざるを得ない。我々は放射線治療では、BNCTのほか、既に陽子線治療装置、リニアック、ガンマナイフなどの最新の設備を揃えており、担当する技師も違う。これらを統合することが必要。さまざまなスタッフが、多様な癌治療を行う拠点として設立を目指しているのが、「南東北国際がんセンター」(仮称)です。

――集学的治療を行う体制を整える。本院とのすみ分けは。

 本院は総合病院。「南東北国際がんセンター」(仮称)は、癌の専門病院として運営していく。癌のリハビリや緩和ケア、心のケアなどもここで取り組みます。

――震災の被害を受けた病院を引き受けたとお聞きしています。

 従来は療養病床の病院でしたが、本院の隣に移転させ、回復期リハビリテーション病棟を核として再建させます。癌患者に対するリハビリテーションの重要性を鑑み、将来的には「南東北国際がんセンター」(仮称)の一翼を担わせることも検討しています。

――がんセンターができ、来年にはBNCTの臨床研究がスタートする。

 それでほぼ全て揃う。本院には、461床でほぼ全科が揃っています。隣接して外来一般を行うクリニック、眼科クリニック、陽子線治療センター(19床の有床診療所)、さらにその隣にBNCTセンターとそれぞれ分かれています。外来は全体で1日約1500人、救急患者も数多く受け入れ、救急車の搬送件数は年間約5500件です。画像診断機器は、外来クリニックにMRI3台やCT2台、PET-CT3台、PET2台など、本院にもMRI2台、CT2台などをそれぞれ揃え、迅速に診断できる体制にしているのが特徴。

――ここ郡山では、ほぼ目指していた体制が整ったのか、さらに何か取り組まれる予定はあるのでしょうか。

 今、設計図を書いて進めているのは、保育所、幼稚園、障害者の学校や大学、高齢者施設を1カ所に作り、子ども、障害者、高齢者などが全て集まる拠点です。大学などの学校の開設にはやや時間がかかりますが、それ以外は来年にオープンする予定。高齢者でも元気な人の中には、「子どもの面倒を見たい」「いろいろなことを教えてあげたい」と考える人もいるでしょう。子どもと高齢者は触れ合わなければいけない。いろいろな知恵を子どもの頃から教えて、国際的にも通用する人材を作っていかなければいけない。

――大学とは、障害者の大学。

 障害者には、身体障害者や知的障害者など、さまざまな方がいますが、全ての障害者の職業訓練ができるような大学です。障害者が自立した生活ができるようにしていかなければいけない。18歳を過ぎると、国は障害者の面倒を見ません。親もやがて死亡する。障害者は自立して生活していかなければいけない。そのために一番重要なのは、教育、学習。それをやります。

 そのほかここ郡山では、医師、薬剤師、看護師、技師など医療関係者を養成する教育機関も、できれば作りたい。「流行る大学」、海外からも留学に来る、国際的に通用する教育機関にしたい。教育機関がないと、海外からの研修の受け入れも続かない。

――そのほか、東京都と神奈川県、宮城県に、病院や診療所を運営されています。

 ここ郡山には人が少ない。ここを助けるためには、「人」が必要。

――そこで言う「人」とは。

 医師、看護師などの医療従事者です。東京で優秀なスタッフを採用して、養成して、郡山にも来てもらう。半年から1年くらいで多くの職員が来ている。「いろいろなところで経験を積みたい」という人が相当います。

――最先端の癌の治療を学ぼうという人も多い。

 はい。あとは患者さんです。福島県の人口は震災後、200万人を切りました。「患者さんは世界から」とは考えていますが、実際には国内が主。首都圏には約4000万人の人口がいる。東京には日本国中から患者が集まる。そこで当院のアンテナ的な役割を果たすのが、丸の内にある「東京クリニック」。完全予約制で、1日160~200人の患者さんが来ています。

――まだまだ先生が夢、やりたいことは尽きない。

 夢ではなく、「やらなければいけない」という思いです。

――先生は初代ですが、そもそも1981年にここに病院を開設されたきっかけは。

 

 私は高校時代、県の奨学金をもらっていた。大学時代も日本育英会の奨学金を受け、学んだ。私は脳外科医であり、当時多かったのは脳卒中。脳卒中の医療ではナンバーワンを目指して、病院を開設しました。「故郷に恩を返さないといけない」と考えたわけです。

 

m3.com 2013.7.2

http://www.m3.com/iryoIshin/article/174080/